なんですか? これ

気が向いたらなんか生える

凋叶棕『彁』感想

こんにちは、るなです。

今年の抱負としてブログ書きたいって思ったので、半年熟成させた弊ブログを更新しようと思います。

勢いで書いているのでガバいですがご容赦ください。

以下、本文 ※ネタバレが無限にあります。

 

 

2019年12月31日、10年代最後の日にそれは発売されました。

 

 

告知ツイートを見たときは「読めないサークル名に定評のあるサークルがついに読めないアルバム出してきたなw」みたいなテンションでしたが、テーマである「幻想」やこの漢字の正体を調べたあたりからヤバい雰囲気が漂い始め、同時に高まっていく期待感。

 

しかし聞いた感想としては期待以上のヤバいアルバムでしたね……。このサークルには何回もボコボコにされていますが、今回も感極まってしまった。勝てません。

 

テーマについて軽く触れておきましょう。「幻想」とはとても大きく根源的なテーマです。なぜなら東方projectそのもののテーマとさえ言えるのだから。そしてアルバムタイトルは『』。この文字は幽霊文字と呼ばれる文字ですね。

そしてこのアルバムが指し示すそれは、東方project自体のすべてであるだけでなく、我々プレイヤーの幻想・妄想、あるいは二次創作をも含んでいるといえるでしょう。そして凋叶棕の作品全ても……。

 

さて、開封。ジャケットは裏表特に特に仕掛けのなさそうなシンプルなもの。開いてみると、白紙のブックレット裏にこれまたシンプルなレーベル面。今回は装丁に仕掛けはなさそうだと思いつつ、目に入ったレーベル裏に若干の予感を感じる。甘かったですね、このサークルが意味のない装丁をするはずがなかった。まさかこのシンプルさこそが破壊力をもたらすとは。

 

・各曲感想

1,ALL EVIL MISCHIEF

穏やかなイントロから後半につれて激しくなる曲調に見事に引き込まれてしまった。今回のインスト曲の中では一番好きですね。導入から始まりこの先の衝撃を予感させるようで素敵。

さて、テーマが「幻想」のアルバムが、紫の曲である『ネクロファンタジア』から始まるのはわかりやすいんですが、問題は『プレイヤーズスコア』ですね。なんとも示唆的。

そして曲名は『ALL EVIL MISCHIEF』。全ては悪魔のいたずら。悪魔の正体は……。普通に解釈するなら紫か、あるいは我々…?前者で解釈するならこの曲は当然最初に来るべきですが、後者で解釈するならば、そしてプレイヤーズスコアであるのだから、この曲は最後に来てもおかしくない。おや、どこかで見た構造ですね。”騙”されたことのある皆さんならわかるのではないでしょうか。ちょうど始点となる曲もありますからね。

 

2,ホーカス・ポーカス

いつもの、普通の魔理沙の曲。まりさちゃんはかしこい。

曲名の『ホーカス・ポーカス(hocus‐pocus)』は、呪文・まじないの他ごまかし・インチキという意味もあります。後はブックレットの段ボールっぽいもろもろとかを見るに、まあそういうことです。それこそが彼女の魔法……。

幻想を幻想と識った上で操るものが最も賢いのです。「方法」はもう知ったから━━

魔理沙は東方のキャラの中でも最も研究されたキャラの一角でしょう。なんせ主人公ですし、ほぼ最古参ですからね。それでも彼女の底は知れない、あるいは底なんてなくただのはりぼてなのか……とそんなことを考えてました。

 また、ららら曲でもあります。めらみさんのらららや囁くようなバックコーラスは素敵ですね。ブックレットの不敵に微笑む魔理沙ちゃんも相まってその…いいですね…!

というかこのアルバム、実はレイマリなのでは!!ボーカル曲は魔理沙に始まり霊夢に終わるし。まあそれも幻想かもしれません…

 

3,Marks of Sin

地獄の妖精と罪の曲。

IOSYSの東方アレンジで一世を風靡したmikoさんが歌っています。

東方において妖精とは何かから発生した現象なので、クラウンピースも何かから発生したと考えるのが自然ですが、これはそれを探す曲ですね。

大罪すべてではなく憤怒・嫉妬・傲慢のみが登場しますが、これについては読み込み不足なので原作でのルーツは特定できてません。なんとなく個人というより界隈全体の抱える罪なのかなと思ったりしています。色欲入ってませんしね()

関係ないですがこの曲とトランプ氏のツイートとか最近の国際情勢を見て、マジ…?という顔つきになってます。

 

4,trill_Moonshine

moonshineは月光、またはたわごとといった意味があります。

「トリル」は大妖精の愛称として昔使われていました。Twitter見て思い出したのですが。

後述しますがこのアルバムには小悪魔の曲も入っています。小悪魔と大妖精はともに中ボスであり、公式にはセリフも設定もほぼありません。よってある意味で最も幻想に近い存在であるといえるかもしれません。戯言ですね。

 

5,幻想少女物語

次の物語を。次の次の物語を。

物語中毒患者は次から次へと物語を摂取し続ける必要があるんですが、それでも段々単なる物語だけでは満たされなくなっていくんですね(体験談)

そんな小鈴ちゃんと、小鈴を想う小狐くんが描かれています。小鈴ちゃんの可愛らしさと不安定さを鈴奈庵の雰囲気にのせて表現したような曲調は見事。

小狐くんは我々であるとも、そしてまた物語を求め続ける自分自身のメタ認知のようにも感じられました。「幻想少女」の物語に焦がれる小鈴と、そんな少女に焦がれる小狐。そして幻想の少女の物語に焦がれる我々。

 

6,Dolls into Pitiful Pretenders

レヴァーリエ!レヴァーリエ!

蓬莱人形の、そして凋叶棕の過去作『屠』の集大成のような曲。

某々勢への、延いては我々への直球の皮肉であり、嘲笑であり、呪い。

ごめんなさい。そうなんです。全部僕たちが悪いんです。許してください。僕はその界隈に疎いのでこのくらいにしておきます。

ブックレットのこちらに怪しく微笑みかけるジャケ子と、蓬莱人形要素に溢れたアレンジも相成り初見のときからボコボコにされてしまった。「有限の世界を幽玄だと呼んで」とか「死者を掘り起こして着飾り遊ぶのでしょう」とか「【呪い】という言葉そのままに偶像を愛していられればいいわよね」とか刺さる歌詞が多すぎて最高でした。

この幻想は終わらない物語のままであり続けるのか、それとも新たな幻想によって打ち崩されるのか……。しかしこれからもずっと、僕たちは美しきものに溺れて呪われ続けるのでしょうね。

ばぁか

 

7,little_Metamorphoses

metamorphosesは変質・変態の意の複数形。

リトルは小悪魔を指しているでしょう。大妖精のトリルの様に小悪魔の愛称です。

小悪魔は大妖精とくらべてもキャラが定まっておらず、様々な容姿や設定になりがちです。ここぁとかもいますし。個人的に印象深かったのはこいドキの小悪魔ですね。また各々の設定で長年継続して小悪魔を描いている作家さんも多いように感じます。

そういったキャラの多様性を反映してのmetamorphosesというタイトリングではないでしょうか。

 

8,幻想星神信仰

凋叶棕初となる隠岐奈ボーカル曲。ついに『闇の摩多羅神』を読むべき時が来たか……

摩多羅神は歴史の中で習合や変質を繰り返し、多数の神性を持つに至った神ですが、東方においては後戸の神・障碍の神・能楽の神・宿神・星神といった神性を持つ究極の秘神とされています。

この曲では各々の要素を散りばめつつ神々しい曲調と、らららで進行していきます。このらららはかなり強くて引き込まれましたね。このアルバムららら率高いよね…やっぱり幻想で集大成だから…

摩多羅神自体が謎の多い、現実の神のなかでもひときわ幻想的な存在であるからこそ、そして東方のキャラクターの中では現実の存在に近いからこそ、このような現実のような歌詞なのかなと思うなどしました。疎いのでこんなことしか書けない

 ブックレットよろしく信仰しましょう。

 

9,懐かしき道

レトロなメロディーを持つ『遠野幻想物語』に、懐かしさを感じるチップチューンのアレンジをのせた、郷愁の塊のような曲。遠野物語自体も幻想の礎のようなもので文脈的にも申し分ない。

郷愁というのは最も普遍的な幻想の形かもしれません。過去を全く美化したことがないと言い切れる人はいないのではないでしょうか。あるいは過去の記憶が現実であったという確証すら……

この曲の後に『くすぶるなにか』が配置されてるのは完璧な采配ですね。見事に感情を破壊されました。

 

10,くすぶるなにか

ねぇ宇佐見。なぁ宇佐見。おい宇佐見。宇佐見……。

幻想の終わりとその先の人生。

僕はまだ学生ですが、「社会人になっていつしか周りも自分もオタクでなくなっていた」というような話とも重なり、ブックレットの菫子の姿も相まって泣きそうになってしまった。人はいくつまで幻想を追っていられるのだろうか……。

nayutaさんの感情的な歌い方の破壊力も凄まじく、二回目はそれで泣きそうになりました。

幻想に至った菫子の感情や諦観はもはや我々からは想像もつかないかもしれない。それでも菫子に自己投影してしまうし、それゆえ菫子は幻想を追い求めてほしい。例えそれが終わりに繋がる“最後の幻想”であったとしても。

しかしこのアルバム、逃げ場を奪っていって最後の曲に展開していく構成が天才だなぁ…

 

11, /彁

この曲について何を言えるのか、何を言ってもいいのか。そしてその行為すらも……

それはどうしようもなく正しく、根源的なのでしょう。それゆえ終着点であり、そしてまたレーベル文を読むに始点でさえある。あらかじめ全てを内包しており、全ての幻想はここに至るといえる。

曲自体からブックレット表紙裏の意味ありげな文章、ブックレットの裏表紙、レーベル裏まで全てがこの曲を成している。ほんとうに最高すぎますね。それにしてもらららがやばすぎるし、無重力さを感じる曲調も刺さる。ブックレットの絵も素晴らしい。この曲に出会えて良かった。

直観知といいますか、理性では神、あるいは真理に触れることは出来ず、ただ直観のみによってその断片を識る可能性があるという考え方があります。またそれをどうにか表現しようにも全て偽物になってしまうとも。我々にとって幻想とはまさにそれであり、ゆえに幻想を崇拝するのだろう。なぜならば、ただ彼女が美しいから。

 

なんとか言語化できたのはここまでです。

どれほど矛盾を抱えていようと、そしてどれほど呪われていようとも、幻想が好きなのだと、またその理由さえも認識できた曲でした。

これからもきっと僕は東方が好きであり続けるだろうし、凋叶棕は信用サークル。

 

 

まとめとあとがき

 全ての幻想を総括し、またそれらを俯瞰するようなアルバムでした。テーマが幻想でありながら、ある意味で現実の曲ばかりで、それに正しく意味を持たせているのが本当にすごい。凋叶棕の作品の中で最も好きかもしれません。

凋叶棕の過去作との関連はところどころ見えているとは思うのですが、全部はわからなかったので有識者の考察に期待しています。

正直最初に聞いたときは思考も感情も破壊されて感想どころではなかったのですが、どうにか書き下すことができました。そもそも感想を文字にしていいのかも悩みましたが。本来「 」でなければならないのでは……

 

最近は諸々の理由で東方から離れていた節があり、コンテンツとの付き合い方とかも考えていたのですが、やっぱり離れたくないと分かりました。ちゃんと原作を読み込んでいきたい。

まあしかしこのブログの実質最初の記事がこれなのか…。ちゃんと読んだらかなり狂った文かもしれないけど許してほしい。これで書かなかったら二度と書かなそうだし。

文を書くのは楽しいので今年はちゃんと更新したいですね。

それでは